ステップメール1~

ステップメール1

○○さん。

和の食アカデミー 主宰
”めしメン” 山下としあき です

今日から、

僕がなぜ料理の道に進み、
「和の食アカデミー」を志事として選んだのか

をお伝えしていきます。

 

生い立ちからの道筋をたどっていくと、
人生の分岐点からの決断がはっきりとわかり、

僕の人となりと料理への姿勢、
さらには秘めたる想い、未来への希望がよくお判りいただけると思います。

 

僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

1.誕生秘話

 

わたくし、山下俊明は、
1976年1月8日に生まれました。

 

父は、鹿児島県の農家出身、
母は、城崎温泉の旅館の娘が結ばれたんですね。

父は昭夫(あきお)
母は寿子(としこ)

 

母の体が弱かったことから、一時は僕をあきらめようとしたそうですが
僕が生まれる前に母の父親が他界したころから、
体調が持ち直し、無事に出産できることになったそうです。

 

他界したおじいちゃんの力が働いた。
おじいちゃんの生まれ変わりだ

と、親戚一同が思ったみたいです。

 

しかし体の弱い母は、もう子供を産むことができません。
体力がもたないのですね。

だから、結局 子供は僕一人だけなんですね。

 

そういう事情もあって、
父の父親(僕のおじいちゃん)が、

昭夫(あきお)と寿子(としこ)の名前から
呼び名をとり、

としあきと僕を命名したそうです。

 

そんな生まれかたをした僕なんで、
しかも初孫でもあったので、
家族みんなにとても可愛がられる子供になるわけです。

 

明日に続きます。。。

 

定型文
いかがでしたか~~~~~

ステップメール2

○○さん。

和の食アカデミー 主宰
”めしメン” 山下としあき です。

 

昨日から、

僕がなぜ料理の道に進み、
「和の食アカデミー」を志事として選んだのか

をお伝えしていきます。

僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

2.幼少期

 

一人っ子で家族親戚みんなに可愛がられて育てられた僕は、
典型的な超一人っ子に育っていくわけです。

でも父親だけは、けっこう厳格で、
あまりにも調子にのりすぎると、
ぼこぼこに殴られました。
(4.5歳でも容赦なかったな、時代かな?)

 

そして、礼節を学べるということで、
4才から空手を習い始めました。

 

空手道。

体力作りより、精神作りの印象が強く、

今でもちょこちょこ言われる

正義感だったり、
真面目さだったりは、

この時に培われたのだと思います。

 

しかも空手は、
子供ながらにけっこうのめり込みまして、

小学生の時には、
型の種目で

神戸市で1位。
全国3位。

になりました。v(。・ω・。)ィェィ♪
(過去の栄光)

 

明日に続く。。。。

 

ステップメール3

○○さん。

和の食アカデミー 主宰
”めしメン” 山下としあき です。

 

昨日から、

僕がなぜ料理の道に進み、
「和の食アカデミー」を志事として選んだのか

をお伝えしていきます。

僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

3.料理への興味

 

小さい頃は、祖母の家(母の実家ね)城崎温泉で旅館を営んでいたので、
そこにいくのが、すごく楽しみでした。

 

しかし、祖母が喜んで、
名物のカニやお刺身を出してくれるのですが、

小さい頃は、海鮮系が苦手で、全然食べれませんでした。

今考えるとなんて罰当たりな!って感じですけど、
今は、全然食べれますし、なんなら喜んで食べますよ!!

 

そこで、祖母が与えてくれたのが、
牛肉のたたきでした。

城崎温泉は、カニだけじゃないんですね。
但馬牛も名産なんですね。

自家製のポン酢に良質な牛肉のたたき。

幼い子供なのに、この大人びた料理が大好きでした。

 

ちなみに、僕が好きな食べ物は?と聞かれると決まって
こう答えていました。

「1位牛肉のたたき、2位焼き鳥、3位ピーマン炒め」

聞いてくる大人の人は、
ハンバーグや海老フライ、カレー、寿司などを予想してたみたいですが、
意外な答えが返ってくるので、

「酒のアテばっかりやな、こりゃええ酒飲みになるな」

て、よく言われていたのを覚えています。

 

でも、実際大人になってみると、
お酒がまったく飲めないスイーツ大好き男子です。

妻に「つまらん男じゃ」と言われています。

 

少し話がそれましたが、

 

小さい頃に経験した
旅館の厨房を見ること、
いろんな食材を見ること、
が、料理人への道のきっかけになったのだと思います。

 

明日へ続く。。。

 

ステップメール4

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和の食アカデミー 主宰
”めしメン” 山下としあき です。

 

昨日から、

僕がなぜ料理の道に進み、
「和の食アカデミー」を志事として選んだのか

をお伝えしていきます。

僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

4.広島へ

小学校、中学校、高校
と至って普通な学生生活を過ごしていました。

今考えても、平凡な学生生活だったな
と思っています。

 

高校生のときに、
神戸市から稲美町という所に引っ越しします。

高校生の頃は、名前が田舎臭くて
イヤだったのですが、

大人になって郷土の歴史を調べていくと、
「日本書紀」にも出てくる歴史ある土地だったのに
気づいて、だんだん好きになっていきました。

 

そして、大学受験もあって、
広島の大学にいくことになり、

生まれ育った兵庫県を離れ、
一人暮らしをすることになったのです。

 

一人暮らしへの憧れもあったし、
自炊して生活することが楽しみでした。

その時から、
一人で料理すべてをすることに憧れがあったのだと思います。
(実家では、やはり母の助けや口出しが入るから)

 

そして、広島での生活が始まるのです。
一人暮らしなので、アルバイトをしなくてはいけません。

当然、飲食店で働くようになります。

明日に続く。。。

 

ステップメール5

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和の食アカデミー 主宰
”めしメン” 山下としあき です。

 

昨日から、

僕がなぜ料理の道に進み、
「和の食アカデミー」を志事として選んだのか

をお伝えしていきます。

僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

5.飲食店のバイト

 

念願の一人暮らし。
広島の大学に通いながら、アルバイトを始めます。

当然、飲食店です。

アルパークというショッピングモールにある居酒屋でした。

その居酒屋では、
魚も卸させてもらいましたし、
魚の焚き物もやらせてもらえて、
小さい頃からも海鮮嫌いがここで克服され、
一気に海鮮好きに変わったのでした。

しかも、
飲食店での料理の仕込み方、段取りの仕方、お客様への提供の仕方を学べました。

 

その時のお客様に、
自分が提供した料理が「美味しい」と言ってもらえたことに、
嬉しくて興奮したのを覚えています。

 

料理人の世界、
飲食店の世界、
サービス業の世界
を体験し、その世界の楽しさや喜びを体感した時間でした。

 

この時の体験が間違いなく、
僕を料理人の道へのきっかけになったのです。

明日に続く。。。

 

ステップメール6

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”めしメン” 山下としあき です。

 

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僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

6.もう一つの楽しみ

 

僕の大学生活の楽しみは、飲食店のアルバイトだけではありませんでした。
(学業の方は、普通にこなしていましたよ)

もう一つ、ドはまりしてたものがあります。

音楽です。

洋楽のロックにはまってしまって、
アルバイトのお金をほとんど注ぎ込むことをしていました。

 

ロックにはまったといっても演奏するわけでもなく、
ただレコード、CDを買いまくることでした。

ターンテーブルとミキサーをそろえて、
DJみたいなことをしていました。

 

普通、DJって、
テクノやハウス、などのクラブミュージックなんですが、
僕はロックでした。

すっげえ狭い世界でしたけど、
友達みんなではまってしまって、

流川(広島の歓楽街ね)で、
クラブイベントみたいなことをして、
遊んでいました。

 

その時に、
イベント企画考えたり、
フライヤー作って配ったりしたのが面白かったですね。

みんなで何かを作り上げて、
お客様を楽しませて、
その空間を一緒に盛り上げていく喜びを知ったんですね。

 

その時の名残で、
未だに家にターンテーブルとミキサー
レコード、CD300枚~あります。

 

明日に続く。。。

 

ステップメール7

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和の食アカデミー 主宰
”めしメン” 山下としあき です。

 

昨日から、

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「和の食アカデミー」を志事として選んだのか

をお伝えしていきます。

僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

7.料理人への道

 

大学も無事に卒業しましたが、
就職活動に失敗して、

結局、飲食店で働いていました。

しかし、大学にいったのは、
親の設備会社に就職し、親の後を継ぐことでした。

そのために工業大学に行っていたのです。

 

なので、
すぐに親の会社の手伝いをすることになりました。

でも、親と一緒に働いていても
全然、心が動かないんですね。

将来この仕事やっていくのか。
ほんとにこの仕事やりたいのかな。

でも親には大学まで行かせてもらったしな。。

なんてことをずーっと考えてました。

 

でも、やっぱりやりたいことやろう!
と決心して、

両親の前で、
「料理の道に進みたい。」
と言いました。

そこで、父はショックを受けていたんですが、

意外にも母が大喜びして、
「やったー」
と声をあげたんですね。

 

さすがに、母が喜んでいるので、
父も何も言えなくなり、
結局そのまま料理人への道に進むことになったのです。

 

一人息子が自分の会社を継いでくれないことは、
父にとっては、ショックだったでしょう。

しかし、旅館の娘だった母は、
書道の先生でもあり、お花やお茶のたしなみもあり、
無類の料理好きだったので、
自宅に来るお客様に振る舞う料理も
数日前から仕込みして、お花や料理の盛りつけの仕方までノートに記録して準備するといった
素人ばなれしてましたから、
料理人になる僕を応援してくれました。

 

僕の料理人の道は、母からの影響が多分にあるんですよね。

 

両親の許可を得た僕は、
本格的な料理人の道を進むことになったのです。

 

明日に続く。。。

 

ステップメール8

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僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

8.修行時代

 

両親の許可を得た僕は、
良きご縁に恵まれて、宮島の旅館に就職し、
本格的に板前として、料理人として人生が進んでいきます。

 

板前の世界って昔ながらの風潮がそのまま残っているので、
縦社会がものすごく厳しいですし、

大学卒業して、しばらくたっての就職だったので、
年下の先輩がいっぱいいるんですね。
(中学卒業してすぐに料理人になっている人もたくさんいるので)

 

なので、いろいろと大変なこともありましたけど、
我慢強く努力した甲斐あってか、
どんどんと認めてもらい
上の仕事をやらせてもらえるようになっていったんですね。
(年がいっていたので、気をつかってくれたのもあります)

 

僕は、この修行時代に
2つの心で持っていたんですね。

 

1つは、素直な気持ちで修行して、料理を学んで行く心。

この心は、素直に料理を学んで、経験を積んで、
自分の知識や技術を上げていくことです。

 

もう一つは、
どうやったら料理人として成り立っていけるだろうかを考える心です。

 

これは、修行時代に感じたことで、
料理人としてのスタートが遅かった僕は、
どうやっても中学卒業からやっている人にはかなわないと思ったんですね。

その人たちは、
もう身体に料理人の職人気質が染みこんでいるので、
そこの差が料理人としての差になると感じたんですね。

 

なので、僕は修業時代から、
料理人としてどうやったら生き残っていけるか、
板前として人生の華を開かしていけるか
を考えるようになるんですね。

 

その疑問をずーっと考えて、料理人の道を進んでいきます。
でも、なかなか答えは見つからないんですよね。

 

明日に続く。。。

 

ステップメール9

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○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

9.結婚

 

料理人として修業時代を過ごしてきた僕は、
飲食店からつきあってきた彼女と結婚します。

相性がすごく良くて、
出会えたのは、運命だったと思っています。

食べ物の相性が良くて、
どっちかが美味しいと思えるものが、
二人共、美味しいと思えるので、
料理を作っても、
料理を食べても、
同じ喜びを感じるんですね。

さらに笑いのツボも同じで、

面白いと感じることが同じなので、
いつも同じことで笑っています。

食べ物と笑いの相性が良いので、
人生の喜びを同じように感じられるんですね。

これって、とてもすばらしいことだと自負しています。

 

そして、結婚式も行うのですが、
お互いの家族、親戚、友人などが一同に集まります。

僕は、こういった機会は、結婚式しかないと思っているので、
人生が集約された日、人生最良の日だと感じていました。

 

未だに結婚式は幸せだったな(^▽^)/
と思っています。

 

明日に続く。。。

 

ステップメール10

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○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

10.家族

 

僕の料理人としての修行は続いていますが、
結婚して3年目に子供を授かります

可愛い女の子でした。

妻が陣痛に丸二日間苦しんでからの出産でした。

背中をさすってやることしかできずに、
男の非力さを感じたのを覚えています。

 

さらには、その2年後にも次女が誕生しました。

 

女の子二人の父親になった僕は、
娘が可愛くてしかたがありません。

今も、めちゃ可愛いですけど。

 

その次女の出産後、
すぐに長女をウチの実家(稲美町)に預けたんですね。

約1ヶ月預けたのですが、
その戻ってくる日に、僕はすごい感動を受けたのです。

未だにその感動は覚えています。

 

僕は、その日いつも通り仕事で、帰宅する時間は遅いんですね。

長女が戻ってくるのは、わかっていたので、
ウチの家族と僕の両親がいることは、わかっていました。

帰宅して、家のリビングに入ると、

長女は戻ってきている。
次女をだっこしている両親がいる。
それを見守っている妻がいる。

その空間がものすごく温かく感じたんですね。

こういうほのぼのした空気と安心感。
食卓ってこんな感動する空間なんだと、
肌で感じたんですね。

衝撃でした。

これが家族なんだなと心から思えた瞬間でした。

 

その時に

こういう機会をもっと作ろう
こういう時間をもっと増やそう

と決意しました。

両親との時間をもっと増やそう、
両親ともっと話をしよう、と。

 

でも、この決意は叶いませんでした。

 

明日に続きます。。。

 

ステップメール11

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”めしメン” 山下としあき です。

 

昨日から、

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僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

11.突然やってくるもの

 

両親と話す機会を増やそうと決意したのにかかわらず、
日常の忙しさにまぎれて、連絡もできずにいました。

 

たまに連絡してみると、
父は仕事で忙しく、
母も習字やお寺へのお手伝い(わが家は信仰心が強い)で忙しいみたいでした。

 

元来、身体の弱い母は、定期的に病院に通っていました。

 

やはり自分の身体。
よくわかっていたのでしょうね。

「わたしはあまり長くは生きられない」
と子供の時から僕に話していましたから。

でも、仲の良い友人には、
「頑張って80歳までは、生きようね」
と話していたそうです。

 

両親とも忙しく、
次に家族がそろうのは、夏休みになる予定でした。

事前の話で、
母は、
「長女に水着を買ってあげているから
庭でプールして遊ばせよう」
と言っていました。

今は忙しいんやけど、
それを励みに頑張っているんだ」と。

 

忙しさのピーク。
お寺の大きい行事の日。

これが終われば忙しさは落ち着くみたいでした。
母は、人一倍に頑張っていたそうです。

周りの人には、
孫が近々やってくると嬉しそうに
話していたそうです。

 

しかし、その日の夜、
母は倒れました。

意識不明の重体でした。

 

明日に続く。。。

 

ステップメール12

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○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

12.母がくれた言葉

 

それは突然やってきました。

父からの電話でした。

「母が倒れた、すぐに帰ってこい。」

 

仕事から帰ってきた夜でした。

夜中に兵庫県の病院までいき、
状況をききました。

 

今は、応急処置をしてるが、
数日で目覚めなければ、もう手立てがない
とお医者から言われました。

 

父と一緒にリビングでテレビを見ていたら、
突然、倒れたそうです。

父もすぐに救急車を呼び、心臓マッサージをしたそうですが、
心臓が7分間止まっていたそうです。

この7分間が明暗をわけました。

 

結局は、意識が戻らず、
呼吸器をつけて植物人間のまま
約5年、入院生活でした。

そして、最後は、父も僕も看取ることもできませんでした。

 

孫との再会を楽しみにして頑張っていた母。
目の前で倒れた母を救えなかった父。

二人の無念が手に取るようにわかったので、
やりきれない気持ちでいっぱいでした。

 

母が倒れた日にも、
長女の水着が目に見える所にありました。

この水着を見て、頑張っていたんだな、と。

 

そんな母が僕たち家族に贈ってくれた言葉があります。

長女が生まれた後に、僕は家を建てたんですね。

その時に和室に飾る書を書いて欲しいと
母にお願いしたんですね。
(母は習字の先生です)

遺書のつもりで書いてよ
なんて冗談で言っていたのですが、
それが現実になるなんて、思ってもいませんでした。

贈られた言葉は、

「所楽在人和」

(楽しむ所は人の和に在り)

人との交流、仲良くする事こそ、そこに本当の楽しさがあるということ。

 

あの時、体感した食卓の感動もこの言葉の一部でした。

 

母がくれたこの言葉。

僕の人生の一部になったのは、言うまででもありません。

 

僕は、この後、
料理人人生と食卓、
そして、この言葉を重ねられるかを考えていくことになります。

 

明日に続く。。。

 

ステップメール13

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僕の想いとこれからの志事への熱意が
○○さんの人生のヒントのきっかけになれば幸いです。

 

13.和の食アカデミーへ

 

母との別れが人生を変える決意をしたきっかけでした。

 

料理人になるきっかけをくれたのは、母。
料理人になることを喜んでくれたのも、母。
でした。

そして、料理人として、
次のステージを用意してくれたのも、母です。

 

料理人として、これからの道が見つからないまま、
ネットでの副業にチャレンジしていました。

ブログを綴って、広告収入を得る
アフィリエイトをコツコツと始めて、
大した収入にもならなかったですが、

海外の日本人から
プロフェッショナルに出ていた人から、

メッセージもらったりと、
普段繋がれない人たちとの交流は楽しいものでした。

 

そんなネットの世界をうろうろしていたら、
ある人物に出会うのです。

我が師匠、安田裕紀さんです。

安田さんの「言葉」を大切にしているコンセプトが
僕の想いと同じだったのに惹かれました。

 

でも決め手となったのは、
たった1枚の画像。

阪急電車の画像でした。

広島に来てからは、阪急電車を見ることはありません。
写真でも見ることはないです。

でも阪急電車って、小さい頃から親しみがあって
よく利用していたんですね。

 

結局、同じ兵庫県出身。
せっかくなら同郷の人に教わろうと決意して、
安田さんを師事するようになります。

 

そこで、提案されたのが、
通信型料理教室「和の食アカデミー」でした。

 

自分の料理人の経験を活かすことができ、
ネットの世界でいろんな人とつながることもでき、
あの感動を覚えた食卓の推進もでき、
「所楽在人和」が実践できるすばらしい志事です。

 

お父さんの手料理で家族の絆を深め、
世の中の家庭がより幸せになるきっかけ作りをしたいのです。

 

僕の志命は

”幸せの種をまくこと”

です。

 

この想いを話した発表会の動画があります。

人前で話すのは、得意ではないので、
たどたどしくわかりにくい箇所もありますが、

僕という人間がよくわかる動画だと思います。

お時間がある人は是非ご覧ください。
(動画は約10分です)

URL

 

○回にわたって、お伝えした
僕の人生のエピソードからの「和の食アカデミー」への想いでした。

ここまでお付き合いしていただいて、
ありがとうございます。

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お父さんであるあなたです。

 

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